サロンのご案内

ゆったりとした時間の中で文化・芸術・食を楽しみ、交流する居心地のよい空間。

「知に遊び味に遊ぶ会」ご案内
安田文吉先生の新講座、好評につき第2回開催!

 


開催案内


演 題文さんの名古屋じまん 第2回
日 時2024年2月10日(土)11:30~
場 所うなぎ有本
会 費10,000円(食事・飲み物付)
※当日は、蓬莱泉の立春朝搾りのお酒をご用意しております。
ご予約TEL・FAX 052-763-3807

【ちょっと一言】
〝もっと名古屋を知ろう〟
名古屋は生産性の高い土地柄で、しかも日本の真ん中にあって、どこへ行くにも非常に便利。
山(木曽の山)、川(木曽三川)、海(伊勢湾…尾張ではこれを熱田前とも言った)、野(濃飛平野)の幸に恵まれ、濃尾平野はほとんど二毛作の土地。裏作として、麦・豆・野菜が作られ、また海では様々な魚が獲れる豊かな所。尾張国では、一揆も飢饉も江戸時代には一度もなかった。このような土地に注目した家康は、名古屋を日本の経済活動拠点とすべく清州から城も城下町もすっかり移した(清州越し)。
拠点とした象徴が名古屋城で天守閣の黄金の鯱は、徳川家の経済的豊かさを示すランドマークともなった。因みに名古屋城は近代になって、文化財保護制度ができると、城としては、第一号の国宝とされた。
農業・漁業のみならず、いわゆる物作り(職人技)、物売り(名古屋商人)も盛んになった。今もある碁盤割りの町筋がそれで、京都に次ぐものである。
葛飾北斎の富嶽三十六景の一つ「尾州不二見原」では桶職人が巨大な木桶の製造に励んでいる絵柄だが、名古屋の主要産業の一つは木桶。木桶がなければ、岡崎の八丁味噌も知多半島の醸造も成り立たない。
尾張古地図によると、かつて伊勢湾は岐阜の手前まであって中島郡の中島、長島、津島、枇杷島など島のつく字の所は島であったし、その奥にある赤津は瀬戸物を船積みする湊(津)ではなかったか。
清州越しで注目したいのは塩業、保田(熱田湊沖)で菱垣廻船から十石船に積み替えられ、堀川を遡って五条橋のあたりで陸揚げされる塩。堀川は感潮川で船は満潮の時しか遡れない。船の塩は満潮の時、陸揚げできるように人足を留めておく長屋が四軒長屋でその前の道を四軒長屋道といったが縮小されて「四軒道」=しけみちと言われた。
傘寿を過ぎた今、知ることの多い講演会でした。

令和6年1月末日
有本 雪月子