2024.7.20(土)開催「文さんの名古屋じまん」安田文吉先生の新講座、好評につき第7回開催!
安田文吉先生の新講座、第7回開催!
開催案内
演 題 | 文さんの名古屋じまん 第7回 |
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日 時 | 2024年7月20日(土)11:30~ |
場 所 | うなぎ有本 |
会 費 | 10,000円(食事・飲み物付) |
ご予約 | TEL・FAX 052-763-3807 |
過去回
第1回 はじめまして 本丸・金鯱・天守閣
第2回 徳川家康の深謀
第3回 春の名古屋 お節句と名古屋ご飯
第4回 徳川宗春の英断 奥州梁川藩の苞(つつっこ)曳き祭を巡って
第5回 木造名古屋城天守閣早期完成を目指して
第6回 熱田さんの祭は熱田の神の祭と天王祭
ちょっと一言
〝もっと名古屋を知ろう〟
熱田祭は、ご正殿のお祭りと摂社南新宮社のお祭りとが合体したお祭り。本祭りの方はお勅使が参内される格式高いお祭り。また、南新宮社のお祭りは、いわゆる天王祭で、祇園祭・津島祭同様、厄除けの祭。本祭りの方は約一時間半ほどの儀式。ご神体「草薙の剣」のお祭りだけに、多種多様な武道の奉納試合があり、剣術・柔術・弓術・相撲・棒の手等など。会場が手狭の場合は、かつては西側の白鳥小学校の運動場を借りて臨時の会場としたこともあった。
午前十時お勅使到着と共に式典が始まる。同時に花火が多数打ち上げられ、祭気分を昇揚させる。小学校の児童は、花火が上がると落ち着いてはいられない。そわそわざわざわで授業どころではないので、その日は2時限目で授業打ち切り。昼間の花火は、光と音。また落下傘花火(花火の中に大きな落下傘が仕込んであり、空中で爆発すると中から落下傘が現れ空中をユラユラと落ちていくといった次第)が多いので、それを手に入れようと子どもたちは気が気でない。これもそわそわざわざわの原因の一つ。
天王祭の方は江戸時代には、からくり人形を乗せた山車や車楽が曳き回され、鎮王門(西門)や海蔵門(南門・正門)、春敲門(東門)には献灯巻藁が飾られ、夜になると山車に付けられた提灯や、巻藁提灯に灯が入れられ、幻想的な祭絵巻が繰り広げられた。熱田で一番大きな山車は、田中・大瀬子の大山(尾張中心に分布した古形山車の一つ)で高さ二十メートルもあったという。最上段には神の依り代となる松が立ててあり、その下にからくり人形が控えている。明治になって、電灯線が張り巡らされるようになり、線が邪魔になり、廃止されるに至った。
その後、津島祭の巻藁船の趣向を取り込み、五艘の巻藁船を堀川へ浮かべた。
かつて享保十八年、尾張七代徳川宗春公の時、疾病退散を祈願して、堀川の洲崎神社あたりに五艘の巻藁船を浮かべ、花火を上げた事がある。宗春公治下以後は、この趣向は絶えて無かったが、明治になって、様々な都合から復活された物である。この時、廃止された大山は解体されたがその車輪(一木造りで直径は百四十センチ)が保存されており、今、祈祷殿の中の休憩所の椅子として活用されている。
また、瑞穣車と呼ばれる中瀬町の車楽は、かつて大瀬子町(大山)伝馬町(車楽)と共に天王祭に参加した。二層造りの屋台の上に祠をのせ、能人形を飾り、神の依り代として松を立て、その二階では稚子舞と獅子舞を演じた。
古形山車は昭和十五年に飾られたのを最後に蔵の中で眠っていたが、後に名古屋市博物館に移され、同五十四年に半世紀ぶりに蘇った。
当時の状大であった姿を是非見たいものです。また、熱田にはたくさんのお祭りがあります。もっと知りたいと思います。「御芦祭」(疫病除けの祭儀で御芦に悪いところをはけて流す)「オホホ祭」(盗難にあった草薙の剣が熱田に戻ってきたのを神主が喜んでオホホと喜びを表した)等など
次回をお楽しみに
令和6年7月7日
有本 雪月子