サロンのご案内

ゆったりとした時間の中で文化・芸術・食を楽しみ、交流する居心地のよい空間。

「知に遊び味に遊ぶ会」ご案内
安田文吉先生の新講座、好評につき第3回開催!

 


開催案内


演 題文さんの名古屋じまん 第3回
日 時2024年3月9日(土)11:30~
場 所うなぎ有本
会 費10,000円(食事・飲み物付)
ご予約TEL・FAX 052-763-3807

【ちょっと一言】
〝もっと名古屋を知ろう〟
熱田は古代から開けたところである。
出雲の八岐大蛇の尾から素戔嗚尊が取り出した剣(草薙の剣)を倭比賣命が預かった。それを倭建命(ヤマトタケルノミコト)が賜り妻の美夜受比賣命の許に置いていたものを比賣が熱田の地に奉納され、熱田神宮の創祀となったのが1900年前。そして熱田に続く地が名古屋であり、いまから約400年前に城と城下町が造られた。
熱田は東西交通の要衝であり、尾張国が海外に向けて開いた一大貿易港であり、門前町、宿場町、湊町、漁師町であった。この地には、西北に断夫山、東南に蓬莱の島を控えた聖地であった。鷲峯山(じょうぶざん)=断夫山は釈尊が初めて説教を行った聖地(西方浄土)であり、蓬莱の島は、中国の神仙境で山東半島の遥か東方海上にあり不老不死の仙人が住むと伝えられているところ。
即ち、ここでは熱田神宮の地を言う。
熱田という小さな地域の西方浄土と蓬莱の島が存在するという、日本の真ん中に位置した熱田は、伝説の上からも、とてつもない(名古屋弁ではどえらけなゃあ)聖地なのである。したがって経済活動にも有利な地で、この熱田台地に繋がる名古屋に、家康は経済活動拠点を置いたのである。それは家康幼少の期、6才~8才の間、熱田の加藤図書之助の許に止め置かれており、その時、熱田の繁昌を目の当たりにして、経済活動を発展させるには名古屋からだと心に描いたからではなかったであろうか?
余談ですが、熱田が蓬莱の地なら、都から見て、名古屋は蓬莱の島の左手にあるので「蓬左」と蓬左文庫、蓬左城、然りである。
名古屋に住みながら、名古屋の事も知らずに暮らしてきたことの人生、チコちゃんにもしかられます!
第3回をお楽しみに。

令和6年2月吉日
有本 雪月子