サロンのご案内

ゆったりとした時間の中で文化・芸術・食を楽しみ、交流する居心地のよい空間。

「知に遊び味に遊ぶ会」ご案内
安田文吉先生の新講座、第5回開催!

 


開催案内


演 題文さんの名古屋じまん 第5回
日 時2024年5月11日(土)11:30~
場 所うなぎ有本
会 費10,000円(食事・飲み物付)
ご予約TEL・FAX 052-763-3807

過去回

第1回 はじめまして 本丸・金鯱・天守閣
第2回 徳川家康の深謀
第3回 春の名古屋 お節句と名古屋ご飯
第4回 徳川宗春の英断 奥州梁川藩の苞(つつっこ)曳き祭を巡って

ちょっと一言

〝宗春公の人柄について〟

梁川は奥州街道と羽州街道の分岐点桑折(こあり)に隣接しており、交通の要衝でもある。
ここは奥州の睨みをきかせる重要なところ。徳川幕府はここを御三家筆頭の尾張藩の支藩とした。
梁川はほとんどが平野で東部に阿武隈高地の山間部となっている。また、中央を清流阿武隈川が流れている。こういった地形は尾張・名古屋によく似ている。即ち、北に木曽山地、西に木曽三川、中央は濃尾平野。また、その占める位置がどちらも交通の要衝(熱田宮宿を含めて)という点で酷似している。享保14年8月に吉宗は尾張三代藩主綱誠(つなのぶ)の二〇男主計頭松平求馬通春(後の宗春)を梁川藩四代藩主に任命した。
通春(宗春)が藩主になった享保14年は東北地方が大飢饉に見舞われ、梁川藩も余所事ではなかった。
梁川から届いた手紙で飢饉を知った通春(宗春)は直ちに厳島神社の蔵を開き、奉納米を領民に配布し、種麹の配布も行った。領民は大喜び、その上、翌年は米の大豊作であった。
人間の尊厳(HOMINIS・DIGNITATI)を守ることを第一と考える宗春の当然の処置であり、領民は伸び伸びと暮らし、税は低く、罪人の処置も寛大だったとされることに領民は宗春の行為に感謝はすべく「苞(つつっこ)曳き祭」を始めた。今年で294年目になる祭もその長さから言っても領民の宗春顕彰はすごいものである。
享保15年11月、尾張七代藩主徳川宗春となった。この任命も八代将軍吉宗の指示であった。
吉宗は宗春思いであり、決して仲が悪くなかった!
尚、「苞曳き祭」は毎年3月第1日曜日に行われる。今の政治も先ずは先祖を大事にし、心豊かな宗春政治を見習って欲しいものと思います。
次回もお楽しみに!!

令和6年5月1日
有本 雪月子